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実録 弁護士と白内障手術

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最近、白内障の手術を受けました。
同世代で手術を受ける人がとても少ないため、情報がなく、不安でした。しかし、私の場合、たまたま身近に同じ手術を受けた友人がおり、事前に経験談を聞くことができたため、心の余裕をもって手術を受けることができました。
同じような状況の方に自分の体験をお伝えできればと思い、このブログを書きました。

私の目の歴史

小学校時代は両目とも視力2.0。
近視になり眼鏡をかけるようになったのは、中学2年生のとき。勉強のし過ぎで、といいたいところだが、当時流行っていたゲームボーイのやり過ぎが原因であった。
その後順調に近視が進行。
大学進学で上京時にコンタクトデビュー。最初はニチコンのハードコンタクトを使用していた。ハードコンタクトは、目に埃が入るととにかく痛かった。また、毎日の手入れが面倒であるし、無くさないよう気をつけなければならないため、無精な私には不向きであった。
最近は、1日使い捨てのソフトコンタクトを使用している。いろいろ試してみたが、ボシュロムのバイオトゥルーワンデーを気に入り、長年愛用してきた。
度数は、左が-6.50、右が-5.50。いわゆるド近眼であるが、老眼はほぼなかったと思う。

異変、そして近医を転々と

そんな私が、目に違和感を感じるようになったのは、昨年(令和5年)の春ころであった。
なんとなく右目が見えにくいのである。近く、遠くともに見えづらい。
同年の夏ころ、近くの眼科に行ってみた。すると、医師からは白内障である、と言われ、進行予防の点眼薬を処方された。本来は点眼すべきなのだろうが、説明も何もなく、あまりに医師の態度が横柄で、その上、「その年でコンタクトなんて」などと言われる始末で(同眼科は、コンタクト処方を堂々と宣伝しているのに。)、あまりにムカついて一滴もささずに点眼薬は捨てた。

最初に行った眼科が信用できなかったため、別の眼科にも行ってみた。そこでは特に白内障との診断は受けず、おそらく老眼でしょう、という所見であったため、私はそのまま様子を見ることとした。

同年の秋ころ半田の健康管理センターで健康診断を受けた。その際、目とは別のことで要再検査となったが、半田病院でたまたま目をみてもらうことになった。令和5年の末くらいのことである。眼科医からは、右目が白内障となっており、ちょうど水晶体の中心が濁っているため、見づらくなっているということであった。もっとも、矯正視力が0.7以上出ていると同病院では手術できないということであったため、そのときは手術をするに至らなかった。

急速に湯けむり状態に

ところが、その後右目の状況が急激に悪化する。右目が全然見えなくなってきたのである。
普段は両目を使っているので生活自体はできるのだが、右目だけを開けてみると視界が真っ白、右目だけ湯けむりが立った温泉にいるような状態になってしまった。
やがて両目で見ていても、手元で本を見たりするのも辛くなってきた。パソコンの画面を見るのも違和感を感じるようになってきた。
「仕事がしづらくヤバいな」と感じていたが、それよりも、見づらいことで、すべてのことにやる気が出ないような気もしていて、危機感を感じていた。

信頼できる医師との出会い

今年(令和6年)の4月、友人の勧めで、東海市にある眼科クリニックに行ってみることにした。
友人が言っていたとおり、非常に信頼できる医師であり、検査結果を踏まえ、丁寧に現状を説明してくださった(非常に人気のクリニックと聞いてはいたが、納得した。)。
医師によれば、アトピー体質だったり、目をこすったりする癖がある場合、若年性の白内障になることがある、ということだった。私は、いずれも該当する。そして、治療法は手術しかないという診断であったが、私の生活スタイルの場合、術後入れるレンズは、単焦点ではなく、多焦点レンズの方が良いだろうということで、多焦点レンズを扱っている病院での手術を勧められた。
当時私は、右目が湯けむり状態で、早く手術したいという思いであったし、医師もとても信頼できる方であったため、アドバイスどおり、紹介先で手術を受けることを決意した。

いざ中京病院へ

紹介先は名古屋の中京病院であった。昔の「社会保険 中京病院」である。普段の業務で扱っている交通事故の案件でもよく出てくる、地域の中核病院であり、眼科もかなりの実績があるようである。
中京病院を最初に受診したのが、今年の5月末。
さすがは大病院という感じで、まずいろいろな検査機器で10種類くらいの検査を受けた。
担当してくださった主治医も、検査結果を踏まえて、丁寧に私の症状を説明してくださり、6月に再度検査、7月末に手術を受けることとなった。

単焦点か多焦点か?

手術にあたって私が決めなければならない問題があった。
白内障の手術というのは、白く濁った水晶体を除去して、人工のレンズを入れるのであるが、そのレンズを単焦点レンズにするか、多焦点レンズにするか、という問題であった。
単焦点レンズとは、近くまたは遠くのどちらかの距離にのみピントを合わせるレンズである。他方、多焦点レンズは、遠く、近く、その中間といったような距離にピントを合わせるレンズである。
私は、仕事でも日常生活でも、運転で遠くを見ることもあれば、読書で近くを見ることもある。また私の場合、手術を行うのは右目だけであり、左目は近視用のコンタクトレンズを着用することになるため(医師からは、左目のICL(眼内レンズ)の選択肢も提案されたが、今のところは行っていない。)、多焦点レンズを迷わず選択した。

なお、多焦点レンズのデメリットとして、①コントラスト感度の低下(見え方の鮮明度が落ちる)、②夜間におけるグレア・ハロー現象(光が多重に見えたりする)、③保険適用外による費用負担、があり、この点についても、十分説明をいただいた。特に、②については、夜間も運転する職業ドライバーの場合などには気をつけなければならないようであり、生活スタイルに合わせてレンズを選ぶ必要がある。また、手術を始めてみないと分からないが、目の状況によっては、多焦点レンズを入れられず、単焦点レンズしか入れられない場合もある、ということであった。

入院、そして運命の手術

7月21日、中京病院に入院。2泊3日の入院生活となった。
同病院での手術は2泊3日が基本とのことであるが、他の病院では1泊2日だったり、日帰りも可能なところもある。
入院1週間前から点眼薬を注すことになっていたが、入院初日は、特に何も制限がなく、院内のコンビニでいろいろ買い込んで菓子類を食べていたので、退院後は体重が増えていた。

2日目、運命の手術日。まずは午前中、手術可能かどうか診察を受ける。
昼12時30分ころ手術室へ。予定時刻は12時15分であったが、1日に何人も手術を受けるため、若干予定時刻を過ぎていた。
手術室であるが、想像していた部屋とは異なり、歯医者のように患者が椅子に座るスタイルであった。椅子のリクライニングが倒されて、まぶしい光を見ている状況となる。

手術開始。
まず、天性のビビり症である私が、手術前からずっと気になっていたのが、白内障手術は全身麻酔は行わない、ということである。
要するに、自分の目をいじられている状況が分かる、ということである。手術直前に点眼による麻酔を行うため、もちろん痛みはないのだが、医師が話している内容も丸わかりである(というか、手術中に若干私と話もする。)。
手術中の感じ方は人によっていろいろのようであり、私の場合、視界としては「水中から光輝く天を見ている」感じ、感覚としては「目をまさぐられている」というイメージであった。
体感としては長く感じたが、時間としては15分~20分くらいで手術を終えた。

手術後1時間は眼帯着用のため、果たして右目が見えるようになったのは分からず、不安を感じる。
1時間後、おそるおそる眼帯を外す。
すると、右目が近くも遠くも、すべてクリアに見えることに感激。というより医学のすごさに驚嘆した。

入院3日目、異常がないことを確認し、無事退院となる。

術後の制限

白内障の手術後はいろいろ制限がある。
まず手術当日は、目を使ってはいけないため、テレビも見れなければ、本も読めず、スマホをいじることもできない。入院中の暇つぶしをどうしようかと考え、Amazonオーディブルを用意していったが、自分には合わず、結局ラジオを聞いて暇な時間を凌いだ。暇を持て余すかと思ったが、気分が高ぶっていることもあり、退屈には感じなかった。

また、手術後1週間は、目に雑菌が入らないようにするため、洗顔や洗髪ができない。私の場合、手術が猛暑の夏であったため、耐えられるか不安だったが、市販の洗顔シートやドライシャンプーを使い、意外となんとかなった(自分の感想であり、周りがどう感じたかは不明。)。

あと、術後1週間がとても大事な時期であり、ほぼ毎日、医師に診てもらわないといけないが、手術後のスケジュールを予め空けておいて良かった。その他、手術後2週間は保護メガネの着用が必要であるのと、少なくとも1ヶ月は3種類の点眼薬を、1日4回点さなければならない。

そして現在

おかげで信じられないくらい右目は裸眼でも遠近ともに見えるようになった。
今では右目の視力が1.2以上ある。左は相変わらずコンタクトだが、外しても右目が見えるおかげで家の中では困らない。
湯けむり時代に比べ、格段に快適な生活で、メンタル面も快調である。仕事に支障も全くない。
多焦点レンズのデメリットと言われるグレア・ハロー現象であるが、確かに夜間運転していると、対向車のヘッドライトが多重に見えたりするものの、思っていたほどでもない。
目の大切さを痛感した体験であったが、今後も一層自分の目を大事にしていきたい。

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